幸せ・成功のはじまりはたった1枚のファーから

取材

今井千恵さんと初めてお会いしたのは2017年
経済産業書UAEマイサ国務大臣訪問と女性起業家交流会
初めましては、UAEアブダビ・ドバイだったのです。

帰国した後も、4月20日に帝国ホテルで行われた2017―2018CHIE IMAI COLLECTIONに招待していただきました。2017―2018はファーがトレンドでしたので、各ブランドでも出していました。さすがにフィンランド政府より民間人として最高位の勲章「フィンランド獅子勲章コマンダー章」を日本人女性として初の受賞をされただけあり、見事なコレクションでした。

女性起業家として「常に躍進を続ける世界ブランド」前向きで明るい千恵さんにはお会いする度に多くの学びを頂いています。

1960年代の日本では、女性が家の外に出て仕事をすること自体が非常に稀な事であり、まして女性が国外に出て行く仕事など考えられない時代に航空会社の客室乗務員として人生のキャリア第一歩を踏み出されました。

結婚後キャリアを断念し家庭に入られましたが、1977年、幼い子供達を育てながら輸出入業のビジネスを始められたそうです。

輸出入業で或る到達点に達したところで、従来の貿易業に満足を得られなくなり、自社のオリジナル商品を作るメーカーから、1980年代に華々しいデビューを飾った今井 千恵のファー·皮革製品へと。

MOSAIQUE de CHIE (モザイク・ドゥ・チエ)が、ニューヨークで開催された Fur Information Council of America (ファー・インフォメーション・カウンシル・オブ・アメリカ)ファッション·ウィークのステージで発表された時、メディアも招待客も誰一人として自分達が 「ファーアイテムを見ていると思えない。」と口ずさんだことは今でも語られています。

「好きなことは、しっかりとお続けなさい。おのずと道が開けます」

諦めずにコツコツと努力を重ねること。知恵さんにとって「ファーこそが天命」と語られています。

ご著書を読ませていただき、順調とは言いかねぬ出来事も数々ありました。
人の裏切りを体験した時に「論語」の「小人窮すればここにに濫す。「小人は困窮すると、それに安じえないで、法に触れることもする」という言葉をお父様にいただいたそうです。

信頼関係を築くには時がかかるけど、失うのは一瞬であること。
デザインと配色が商品に与える重要な要素であること。

子育てと仕事の多忙さに気管支喘息との過酷な戦いもあったそうです。
昔のファーのイメージは暖かいけど、重くて茶や黒といったダークトーンが多い中
千恵さんのファーは明るくて、軽くて手入れも簡単というイメージです。

それもヨーロッパ中、ご自分の足で探し回ったそうです。
人はみずから己の運命を創る。軽くて明るいカラーのファーは
千恵さんの想いと行動の賜物なのでした。

着想から苦節10年、軽くてカラフルなファーのアートが誕生!モザイク ドゥ チエ
原皮を愛し、選びからデザインするデザイナーは少ないそうです。

ひらめきは、それを得ようと長い間、準備・苦心した者だけに与えられる。
(フランス・ルイ・バスツール)

 

継続は力なり、伝統文化を例に挙げるまでもなく、大変なエネルギーが求められる。
基本を守りながらたえず、進化させなくてはマンネリ化になってしまうので進化を続けます。

ファー業界のオンリーワンの道を進まれました。帝国ホテルの老舗毛皮店を継承されます。

東京はもとより、パリ「VOGUE」ニューヨークコレクションの大成功!
ニューヨーク表彰受賞、永住権も手に入れられました。

ジョンFケネディ元大統領の姪にあたるケリー・ケネディーさんやヒルトンホテル創業家一族のヒルトン夫人、ロックフェラー夫人、トランプジュニア夫妻、ジャッキーチェンさんのお姉様など多くのセレブリティがコレクションにいらしたそうです。

私の大好きな海外人気ドラマ「セックス・アンド・シティ」にも作品が使われました。

その後、時代はリーマンショックとなり、ニューヨークから撤退されました。
すぐれた人間の大きな特徴は不幸で苦しい境遇にじっと耐え忍ぶこと(ルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン)

その後は中国の都市をはじめアジアに向けて日本のファッションを発信されました。
九州ニュービジネス協議会の副会長の立場で後進の指導に当たられています。

ニューヨーク時代には社交界デビューされたときのお話で「オールドマネー」と言って
代々富を築いてきた名門出身の方々は多額の資産はあっても、ライフスタイルはシンプルで堅実
しかし一転して、多額のお金をいとも簡単に寄付されるそうです。

もし、お金を汝の召使いとしなければ、お金は汝の主人となるだろう(フランシス・ベーコン)
ビジネスで成功したら、社会へ還元すべきだ。というお父様の口癖で「誇りを持て。金の亡者になるな」という言葉が強く心に残っていらっしゃるそうで、東日本大震災チャリティーなど寄付も続けていらっしゃいます。

人に施した利益を記憶するなかれ 人より受けたる恩恵は忘るるなかれ(バイロン)

フィンランド獅子勲章コマンダー章を受賞されて、フィンランドと日本の架け橋にもなられています。

世界には、きみ以外に誰も歩むことのできない唯一の道がある。その道はどこに行きつくのか、問うてはならない。ひたすら進め。(フリードリヒ・ニーチェ)

衣服はしばしばその人物を表す(ウイリアム・シェークスピア)

リアルファーかフェイクファーか。ここ数年、2つの潮流に揺れています。
千恵さんは無論、リアルファー派です。自然素材で最終的には土の還るので、自然環境、社会環境を汚染することがないこと。正しい使い方をすれば何代にもわたって継承できること。サスティナブルな素材だということ。

また、動物は自然から乱獲されるのではなく養殖で、飼育環境も整備され生命をいただく、骨粉は木材チップと変わらぬ熱量があり、暖房用の資材として使われ、油脂はバイオ燃料に使われ廃棄物はほとんど出ません。

一方フェイクファーは化学繊維から作られているために土に還ることはなく生産時や洗浄時に排出されるプラスチック・マイクロファイバーの汚染問題にもつながり汚染となること。

この問題は視点を変えることで、どちらが正しいと決めつけることができず、動物愛護の問題と環境問題は異なるということです。モノの見方は一方通行で見ないことだということです。

ここは私が1番お聞きしたいことでしたので、なるほど納得でした。

今はお嬢様の千晶さんが代表取締役に就任されています。
千晶さんが千恵さんに教えられたことは「人生の選択は自分で決める」ということ。

この子はレイナ・セカンドです。と幼い頃から言われ続けた千晶さんは「大嫌いな母の思い通りになるものか!」と反発していたらしいのですが、本当はこの仕事が好きなんだと気づいたそうです。

その後、千晶さんは「本当に世の中に求められている商品なのか」「世の中の人の役に立っているサービスなのか」「自己満足に陥っていないか」ということを常に考えてビジネスをしているそうです。

私がお二人を拝見していると、千晶さんは千恵さんをとてもリスペクトしていらっしゃり、千恵さんは千晶さんを誰より信頼されています。母と娘の関係は私も娘がいるので良くわかります。

時にはぶつかることもありますが、誰よりも愛おしい存在です。

時に母親の力は自然法則に勝る。(バーバラ・キングソルヴァ―)

主婦から女手ひとつでファービジネスを起業、数々の世界的な賞を受賞し、ソーシャライツの仲間入りを果たすまでの波乱万丈の一代記は千恵さんの素晴らしい人生を知ることができました。
千恵さんは、女性として、経営者として、母としてリスペクトできる存在です。

 

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